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歴史探偵は西遊記だった!

昨日の歴史探偵でやっていた西遊記をまとめてみました。

唐の時代に生きた僧侶、玄奘三蔵にスポットを当てました。

仏教を学ぼうとインドまで往復3万キロの旅をしたとされ、発掘調査でも裏付けられています。

玄奘三蔵の3万キロの旅

京都の興聖寺には天竺へ旅をした玄奘がまとめた大唐西域記の写本が所蔵されています。

また、大阪の美術館には旅の様子を描いた国宝玄奘三蔵絵があります。

当時、国外を出ることは禁じられていて、玄奘三蔵はその禁を犯したことになります。

高昌国では仏教を信奉する国王から滞在を求められると、断食することで玄奘三蔵は旅の続行を訴えました。

国王は感嘆し、支援の手を差し伸べて送り出しました。

玄奘三蔵の通った謎のルート

玄奘三蔵は高昌国から天竺まで最短ルートを通らず、標高4000m級の山々が連なる天山山脈を越え、スイヤブ、現在のキルギス共和国へ向かいました。

キルギス共和国のアク・ベシム遺跡では、帝京大学文化財研究所が発掘調査を行い、小麦や粟、道具類が見つかっています。

玄奘三蔵は東西交易を行ったソグド人から情報を得、西突厥の王に面会するためにスイヤブを訪れたと考えられます。

西突厥は遊牧民族で、季節によって移動します。

玄奘三蔵は春ならば王はスイヤブに滞在していると敢えて山脈を越え、王に面会すると仏教の教えを説き、支援を獲得しました。

玄奘三蔵は足掛け4年で天竺に到着しました。

ナーランダ寺院で5年間学び、のちに仏典を携えて唐に帰国しました。

皇帝は功績を讃えました。

作家の夢枕獏さんは玄奘三蔵が大好きで、玄奘三蔵が旅した場所にも訪問しています。

玄奘三蔵は長安の経典を読み、僧侶と議論しても分からないことがあり、それを知ろうと言う情熱から天竺へ命がけの旅を決意しました。

天竺で学んだ玄奘三蔵は多くの経典を携え、唐へ帰国しました。

玄奘三蔵の驚きの翻訳事業

薬師寺の境内には玄奘三蔵をまつる伽藍があり、御本尊は玄奘三蔵の坐像です。

インドから持ち帰った経典はサンスクリット語で書かれ、玄奘三蔵が翻訳しました。

大般若経は600巻、文字数にすると480万字にのぼります。

玄奘三蔵は3年10ヵ月で成し遂げたと言われていて、8000文字を2日半で翻訳したことになります。

船山徹教授によると、弟子たちも協力し、流れ作業であたったのではないかと言うことです。

伝説から誕生した西遊記

中国には玄奘三蔵がお経を収めた塔がありますが、長い年月を経るうちにその業績は人々の記憶から薄れていきました。

その後、明の時代に長編小説西遊記が誕生しました。

玄奘三蔵、孫悟空、沙悟浄、猪八戒が妖怪退治などをしながら、旅をする物語となっています。

南宋の時代、玄奘三蔵ら僧侶6人が天竺を目指す大唐三蔵取経詩話が生まれています。

玄奘三蔵の史実に則しつつも、民間伝承、フィクションの要素が加えられていて、西遊記の祖先と言えます。

大衆に人気の要素が物語に取り込まれていきました。

例えば、孫悟空と闘う牛魔王はチベット仏教に由来します。

夢枕獏さんは玄奘三蔵について、

「天竺で仏教を学び経典を唐に持ち帰ったことも凄いが、残りの人生を翻訳作業に捧げたことに驚嘆する」

と話しました。

また、昔の民間伝承、神話を現代風にアレンジし、西遊記と言う物語に加えていったことは現代でも行われていることで、夢枕獏さんは、

「キャラクターは作家の意図を越えて動き出すことがある」

と語りました。

中国で調査した孫悟空

中国福建省福州市では斉天大聖が信仰されています。

斉天大聖は孫悟空の別名で、天界で大暴れしていました。

南平市順昌県は猿が多く、農作物の被害を少なくするため、人々はサルにお供物をしていました。

いつしか人々を守る斉天大聖と言う信仰が生まれました。

アメ横で調査した猪八戒

西遊記に登場する猪八戒は摩利支天に仕えたと言われています。

摩利支天は戦いの神様として信仰を集めました。

インドではブタに乗っていましたが、日本に伝わった時にはイノシシになっていました。

西遊記では正義を象徴するのが孫悟空ですが、猪八戒は大食らいで女性好きなど俗物キャラとして描かれています。

意外な沙悟浄のルーツ

玄奘三蔵絵で、唐の国を出た玄奘三蔵は砂漠で遭難し、精根尽き果てて眠りにつきます。

すると、大神から叱咤されて前進し、泉に到着して一命をとりとめました。

この大神はのちの深沙神で、さらに沙和尚として玄奘三蔵の弟子の1人として物語に加えられます。

しかし、明の時代には沙悟浄となり、玄奘三蔵の三番弟子になりました。

日本では江戸時代の作家、曲亭馬琴が西遊記を模した作品を発表しますが、沙悟浄をもとに鵜悟浄を創作しました。

その姿は河童でした。

夢枕獏さんは、

「玄奘、西遊記はアジア諸国で知られ、みんなの共通言語」

と話します。

夢枕獏さんは、

「これまでの取材をもとに西遊記を新たに創作してみたい」

と話し、佐藤二朗さんは、

「実写化された時にはキャストとして参加したい」

と要望しました。

Twitterでの歴史探偵で特集した西遊記への反応

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