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歴史探偵は正岡子規を特集してた

昨日の歴史探偵は、明治時代の俳人正岡子規を特集していました。

正岡子規の有名な俳句に

「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」

があります。

また、松尾芭蕉は約1000句、65歳で生涯を閉じた小林一茶は約2万1000句、35歳で死去した正岡子規は2万5000句を遺しています。

俳人正岡子規

正岡子規の出身地は愛媛県の松山市で、俳句を投函するための専用ポストが市内に約90ヶ所あります。

自作の句を披露し合う句会も頻繁に催されています。

正岡子規は22歳の時、

「俳句は字数が少ないけれど、意味が深くて面白い」

と書き残していて、松尾芭蕉が

「古池や蛙飛びこむ水の音」

で静けさを伝えたことに感嘆したとされます。

また、情景から浮かぶ様々な要素から何を選ぶか、字数の制限も俳句をより奥深くしているそうです。

日本語学の専門家の佐藤栄作教授は、4つの動物の名前を助詞のとで繋げた文章を4パターン用意し、そのなかで

「ライオンとキリンとゾウとマントヒヒ」

は5・7・5のリズムとなっていました。

街頭調査したところ、

「ずば抜けて読みやすい」

「リズムがいい」

といった意見が聞かれました。

佐藤教授は

「いろいろな言葉のなかに5・7・5は溢れてる」

と語りました。

最小のドラマ

井上泰至さんは、俳句を

「最小のドラマ」

と表現し、佐藤二朗さんは

「俳優業で行間を読む、書いていないところを想像するというのは俳句と似ているかもしれません」

と語りました。

正岡子規は言葉オタクの一面があり、器具や道具に関する言葉だけでも600近い語句を収集し、自分用の辞書も作っていました。

また、英語の野球用語を日本語に訳したとされる他、正岡子規は室町時代から江戸時代の俳句を集めて書写し、

「卑俗陳腐」

と手厳しい評価を下しています。

正岡子規が収集した12万の俳句

正岡子規が収集した12万の俳句のうち、月をテーマにした俳句を人工知能に読み込ませました。

その結果、

「秋」

「夜」

「雲」

と同じことばが数多く使われ、似通った表現も頻々に登場していました。

かつて、俳句を学ぶには宗匠に弟子入りするのが習わしで、言葉遣い、表現方法が似通ってしまったそうです。

井上泰至さんは

「こういうふうに詠むものだと考え方まで規制され、それを真似すれば俳句なんだと思ってるのはある意味、無個性」

と話します。

正岡子規は

「決して技巧に走らないこと。他人を意識して恥ずかしがってはいけない」

と書き残していて、景色やモノをありのままに写し取る写生に至りました。

写生の観点から松尾芭蕉の句よりも与謝蕪村の句の方が優れているとも評したこともありました。

俳句から浮かぶ情景

松尾芭蕉の

「五月雨をあつめて早し最上川」

与謝蕪村の

「五月雨や大河を前に家二軒」

から浮かぶ情景を絵画教室の人々に描いて貰いました。

後者の句から家二軒という具体的なイメージが浮かんだ他、人の気配が感じれたそうです。

佐藤二朗さんは、与謝蕪村の句から自然の脅威を感じ取ったそうです。

井上泰至さんは、松尾芭蕉と与謝蕪村の句を批評した正岡子規について、

「日本文学者のなかで一番の毒舌」

と評し、今で言う炎上発言をして注目を集めるという計算もしていたと言います。

俳句づくりのコツ

俳人の夏井いつきさんは、近田雄一アナウンサーに人に伝わる俳句づくりのコツをレクチャーしました。

まず実体験は題材にすべきで、近田アナはバツイチを取り入れることにしました。

続いて、日常を言葉にするべきだと言い、一人身の近田アナは割引価格で買った惣菜を食べながら、NHKプラスで朝ドラを視聴していることを明かしました。

最後は5文字の季語を入れて完成します。

生まれたのは

「バツイチの 惣菜ひとつ 秋の暮れ」

でした。

俳句をつくった近田アナは、

「これが写生、リアリティーです」

と述べ、佐藤二朗さんは、お酒を題材に1句つくることになりました。

5分後、生まれたのは、

「妻が居て 息子と戯れ 酒極上」

でした。

井上泰至さんが添削し、お酒の季語を最後に加えるべきと助言しました。

俳句専門誌ホトトギス

雑誌ホトトギスは、俳句の専門誌ですが、多くのページに俳句ではなく、文章が割かれていました。

正岡子規は身近なテーマを題材に、話し言葉に近い易しい文章にこだわり、全国の人々に思いの儘に綴った日記を募集して雑誌に掲載しました。

井上泰至さんは

「明治時代は個人が自らの力で立ち、生きていく時代。誰もが作り手になり、情報の発信者になる」

と話しました。

また、雑誌では投稿を読み、共感した読者が自らの心情を綴った文章を寄せるというつながりが生まれ、現代のSNSと近いところもありました。

井上泰至さんは、

「子規のレガシーは俳句もそうですけど、生きているというふうに見ることもできる」

と話し、佐藤二朗さんには今後も俳句を続けて貰いたいと俳号

「句陀仏」

をつけました。

Twitterでの歴史探偵で特集した正岡子規への反応

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