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テレビ番組 歴史

一軒家まるごと壊すがおもしろかった

昨日の一軒家まるごと壊すがおもしろかったです。

埼玉県川口市の砂場の創業から60年最後の日 閉店の理由は妻に恩返しがしたい

砂場の最後の日の紹介しました。

創業から60年の川口の名店で、全て夫婦2人で調理しています。

静夫さんが浅草の砂場で修行を終え、独立を機に文子さんと結婚しました。

それから夫婦で60年看板を守ってきました。

砂場は、今年10月に閉店を発表しました。

閉店前日、静夫さんはそばの仕込みを行いました。

閉店当日

閉店当日、開店を前にすでに行列が出来ていました。

そこで静夫さんは、30分早く開店しました。

多くの客が頼む人気メニューが天せいろです。

人気の秘訣は、特大エビ天です。

静夫さんは、肉眼で背わたをとっていました。

視力は1.0で、健康の秘訣はダンベルなどの運動でした。

今年3月にガンが見つかった女性は、抗がん剤などで寛解しましたが副作用で味覚障害となりました。

しかしこの店の蕎麦の味を感じるそうです。

砂場最後の客

砂場最後の客は、交通事故から3年ぶりに来年した母とコロナ禍により海外から帰国できなかった娘でした。

そして砂場は閉店しました。

静夫さんは、

「最後の最後まで出来たのもみなさんのおかげ」

などと話しました。

砂場の閉店の理由は、健康なうちに辞め妻に恩返しをしたいことでした。

谷まりあさんは、

「何かあったかいですね」

などと話しました。

根岸の昨年解体した蕎麦店の驚きの1年後!幸せな生活でも客との会話が恋しい

日よしやの1年後の紹介しました。

昨年9月に閉店解体を迎えた蕎麦屋が日よしやでした。

1年後にはモダンな3階建て住宅が建っていました。

春より新居で娘と同居生活を始めたそうです。

しかし鈴江さんによると客との会話が恋しいそうです。

祐天寺の町中華平和軒は御年91歳が看板女将が戦後に創業 閉店の理由は孫からの4世代同居の提案

平和軒を紹介しました。

平和軒を切り盛りするのが石田照子さんです。

照子さんは、昭和32年に平和軒を開店しました。

そして現在2代目店主として厨房を取り仕切るのは、石田隆さんと妻の愛子さんです。

石田ファミリーが作る料理は、懐かしい町中華です。

メニューは70種類以上あるそうです。

有名人にも多くのファン

有名人にも多くのファンがいて、取材中には飯尾が閉店の挨拶に来ていました。

テリー伊藤も閉店の挨拶に来ていました。

平和軒最終日

平和軒最終日、愛子さんの朝は餃子作りから始まりました。

照子さんは厨房の調味料を補充していました。

開店1時間前、店の外には行列が出来ていました。

そこで予定より30分早く開店しました。

多くのお客が頼んでいたのがチャーシューメンです。

チャーシューを作っていたのは照子さんでした。

また照子さんのチャーシューをしのぐ人気メニューがカツカレーです。

カレー人気の火付け役が、目黒区役所の職員たちでした。

最後のお客さんは、一人で4品を注文していました。

ディナータイム

ディナータイムも店はすぐに満員となり、店の外には行列が出来ていました。

平和軒は平和を祈って名付けたそうです。

照子さんらは戦争を経験していました。

そして11月30日、平和軒は65年の歴史に幕を下ろしました。

照子さんは、

「本当にみなさんに愛されてお客様にね愛されて本当にうれしかったです」

などと話しました。

閉店の理由は孫からの4世代同居の提案でした。

解体の日

解体の日、30分で看板が撤去されるなどしました。

解体2日目、照子さんが店に訪れました。

照子さんは、

「ここで65年間やってたんですね」

などと話しました。

解体の理由は、65年前の約束である物件の原状回復でした。

2022年12月19日、平和軒の解体が終了しました。

馬込の頑固オヤジの殿上湯と言う65年の歴史ある銭湯最後の日 閉店の理由は燃料費の高騰と設備修繕が不可能

駒込で65年の老舗、殿上湯が閉店を決めました。

神社仏閣などで用いられる格天井とかえる股と呼ばれる珍しい建築様式で、一番の自慢は地下135mから汲み上げた地下水でした。

そのせいか4代目店主の原和夫さん76歳も、妻の小夜子さんも娘さんも美肌でした。

閉店当日となった10月10日に1日密着しました。

閉店当日

朝10時に原さんが湯を沸かしました。

殿上湯には、銭湯におなじみの煙突がありません。

30年前に薪からガスに切り替えました。

昼の12時に開店すると次々とお客さんが訪れました。

午後2時30分、いつも以上にお客さんが来たことで、ガスバーナーがトラブルを起こして、女湯の温度が下がってしまいました。

閉店まで残り2時間となった午後6時になると、多くの若者で混雑しました。

原さんは北区の保護司として約25年活動したことから、お世話になった人たちも続々と訪れました。

閉店まで残り15分となり、再びガスバーナーが悲鳴を上げました。

殿上湯は燃料費の高騰が圧迫し、設備修繕が不可能となったことから閉店を決めたそうです。

閉店後も多くの人が店の前に残ってくれ、原さんが別れの挨拶をすると拍手が沸き起こりました。

殿上湯の文化的建築的価値を保存

閉店から1ヶ月後の11月20日に解体目前の殿上湯を訪ねると、調査が行われていました。

北区教育委員会は、殿上湯の文化的建築的価値に注目し、飛鳥山博物館に資料を保存することに決めたそうです。

2ヶ月間調査が行われることになり、解体は来年2月まで先延ばしとなりました。

八重洲の鰻はし本 創業から75年の老舗最後の日 閉店の理由は「?」

中央区八重洲にある創業から75年の八重洲 鰻 はし本は閉店を決めていました。

八重洲 鰻 はし本は、行列のできる鰻店であり、4代目の橋本正平さんが切り盛りしています。

老舗の跡取りとして生まれた正平さんは、高校卒業後は音楽の道を進んでいましたが、32歳で4代目として店とタレを引き継ぎました。

八重洲 鰻 はし本のうな重は今でも人気を誇っています。

しかし、八重洲 鰻 はし本は、今年11月に閉店・解体することを発表しました。

2022年11月4日、最後の昼夜通しの営業日に密着しました。

正平さんらは、この日も朝から仕込みを行い、鰻100本分の仕込みを終わらせました。

最終日には、国内外から多くの客が訪れていました。

50年来の八重洲 鰻 はし本ファンだという女性は、

「うな重が来るまでに香の物をツマミに酒を嗜んで待つのが江戸の粋」

と語りました。

八重洲 鰻 はし本で30年間働いてきた田中さんは、

「長年本当にありがとうという気持ちと、思い出がたくさんいつ待っている」

と明かしました。

最後の夜営業

最後の夜営業が始まり、正平さんたちは次々と一品料理の注文に応じました。

週に1度は鰻を食べ歩くという男性は、

「八重洲 鰻 はし本は間違いなく素晴らしい」

などと語りました。

最後の注文も終わり、田中さんは最後の仕事として布巾を漂白剤に浸けました。

八重洲 鰻 はし本が閉店し、田中さんは店を後にすると店を眺めながら、

「全てが思い出」

だと告げました。

2022年11月4日、八重洲 鰻 はし本の最後の夜が終了しました。

閉店の理由

八重洲 鰻 はし本の閉店の理由について正平さんは、

「建物の老朽化の限界を迎え、災害などで崩れる前に取り壊すことにした」

と明かしました。

八重洲 鰻 はし本の解体は2023年に開始され、2024年に新装開店することとなると伝えました。

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