本ページはプロモーションが含まれています

テレビ番組 人物 歴史 海外

歴史探偵で特集していたツタンカーメンをまとめてみた

昨日の歴史探偵、面白かったです。

そこで特集していたツタンカーメンをまとめてみました。

エジプトの王家の谷から中継していました。

モハメド探偵は、

「今回はツタンカーメンの謎に迫る」

と伝えました。

これまで、若くして亡くなったか弱き少年王とされてきましたが、意外な実像が明らかになりました。

歴史探偵 古代エジプト ツタンカーメンの時代

モハメド探偵はツタンカーメンの墓に入り、儀式の壁画を紹介しました。

古代エジプトでは人は死んでも、儀式により復活して永遠の命を授かるとされ、壁画にはツタンカーメンのミイラが描かれていました。

そんなツタンカーメンは、20代前半で亡くなったとされています。

紀元前3000年頃にナイル川流域で始まった古代エジプト文明は、古王国、中王国時代を経て、新王国時代には領土は最大となりました。

ツタンカーメンの祖父の時代には周辺国との交易、交流が盛んでした。

紀元前1341年頃、ツタンカーメンが誕生しましたが、王国はかつてない危機でした。

ツタンカーメン 王国を揺るがす危機とは?

ツタンカーメンの父、アクエンアテン王は新都を建設し、その跡地が残っています。

出土した人骨を調査したところ、庶民は栄養不足でありながら過酷な労働を強いられていたことを示していました。

歴史探偵 異端の王アクエンアテン 前代未聞の宗教改革

古代エジプトは多神教でしたが、アクエンアテン王は太陽神アテンを唯一神と宣言し、神殿やモニュメントを破壊させて人々から信仰の自由を奪いました。

さらに砂漠に新都を建設しようとし、3万人近くが駆り出されました。

紀元前1336年頃、王は死去しました。

王墓に描かれた壁画は剥ぎ取られ、王の顔を覆っていたマスクも破壊されてしまいました。

ツタンカーメンは9歳前後で国の舵取りを担うことになりました。

河江肖剰さんは、

「その中で自由な芸術表現が誕生した時代でもある」

と語りました。

国がかつてない危機に見舞われるなかでツタンカーメンは即位しましたが、ラピスラズリやトルコ石が使われたネックレスといった副葬品から海外との交流が盛んだったことを示しています。

歴史探偵 ツタンカーメンの意外な実像

アクエンアテン王による宗教改革で荒廃してしまったカルナック神殿を復興させたのが息子であるツタンカーメンでした。

即位した後、都を移し、多神教を復活させ、人々に信仰の自由を与えました。

また、アクエンアテン王の改革で国内が混乱すると、周辺国が攻め入るようになりました。

ツタンカーメンは鎧を纏い、戦場にも赴いていました。

墓から見つかった鎧には、損傷箇所がありました。

歴史探偵 ツタンカーメンの妻アンケセナーメンとの愛

アンケセナーメンはツタンカーメンにとって異母姉ですが、即位前から婚姻関係にあったとされます。

王族の兄弟が結婚することは珍しくありませんでした。

歴史探偵 ツタンカーメンのその最後とは?

ツタンカーメンのミイラをCT撮影すると、左足の大腿骨に大きな亀裂があり、重度の骨折をしていました。

戦場を駆け抜けるチャリオットから落下したと考えられ、感染症を併発して20歳になるかならないかで死に至ったとされます。

河江肖剰さんによると、

「ツタンカーメンは健康体とは言えないなかで戦場に赴き、国をまとめあげた王だった」

と話し、

「大神官のアイ、ホルエムヘブという将軍がいたのも大きかった」

と話しました。

しかし、ツタンカーメンは若くして亡くなり、後継者争い、権力闘争が勃発しました。

歴史探偵 歴史から消されたツタンカーメン

ツタンカーメンの功績を讃えて作られた石像からは、ツタンカーメンの名が削り取られ、ホルエムヘブの名前が記されていました。

ツタンカーメンの死後、後任は大神官のアイでした。

しかし、即位から4年後に亡くなると、将軍のホルエムヘブは後継者を倒して力づくで王となりました。

ツタンカーメンの存在は忘れ去られ、古代エジプトの歴史から抹消されました。

歴史探偵 妻アンケセナーメンを襲った悲劇

アンケセナーメンのものとされるミイラがテレビ初公開されました。

頭部や胸、腕は無く、死後に墓を暴かれて破壊された可能性があります。

考古学者の大城道則さんは、ファラオとなったホルエムヘブによって、アンケセナーメンは可能された可能性を挙げました。

実はアンケセナーメンは敵国だったヒッタイトに接近し、王子と婚姻関係を結ぼうとしました。

実は結びませんでしたが、軍のトップだったホルエムヘブが激高したのは想像に難くありません。

そして、約100年前、王家の谷でツタンカーメンの墓が発見されました。

河江さんによると、宗教改革によってエジプトを混乱に陥れた王族に軍トップのホルエムヘブは怒り、功績まで奪い取ってしまったそうです。

約100年前、ツタンカーメンの墓は発見され、考古学者のハワード・カーターらは棺の頭部にある花輪に着目しました。

カーターは、

「王妃が亡き夫に捧げた最後の贈り物と考えたい。黄金の宝の中でもこのはかない花輪ほど美しいものはなかった」

と綴っています。

河江さんは、

「我々は埋葬品を見ることで3000年以上のものがぐっと縮まる感覚を受ける」

と語りました。

Twitterでの歴史探偵で特集していたツタンカーメンの話題

-テレビ番組, 人物, 歴史, 海外
-, ,

© 2024 空手師範で現役整体師の館